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ホテル・ヤマト フラッグ事件

ロビーにある”ホテル・ヤマト フラッグ事件”の絵

1945年8月17日にジャカルタで行われたスカルノとハッタによる独立宣言はジャワ全土に瞬時に伝わったわけではありません。ただスラバヤは日本軍が放送網を整備していたことからラジオでリアルタイムで独立宣言が届き、市民感情を大きく発揚したそうです。スラバヤの青年知識層はすぐに議会を作り独立に突き進みます。

現行の赤と白のインドネシアの国旗は日本軍がいるころにデザインが確定されていたそうです。独立宣言後、スラバヤはいち早く町中をその国旗で飾り立て、それに追随してスカルノはインドネシア全土でインドネシアの国旗を掲揚するよう指示を出します。そんな独立機運が高まっているスラバヤにイギリス・オランダの連合軍が戻ってきます。そしてホテル・ヤマトにオランダの国旗を立てたのです。それを知ったスラバヤ市民は怒り、ホテル・ヤマトに集結。フラッグポールからオランダの旗を降ろし青い部分を破り取ってしまうのです。

青い部分がなくなったオランダの旗、すなわち赤と白のインドネシアの旗です。

燃やしたり切り刻んだりするのではなく、青い部分を切り自分たちの旗にしてしまうという機転を利かしてストーリーにしてしまうのは、いかにもジャワ人らしいです。それに感情的になるのではなく冷静に対処するあたり、独立への強い意志を感じさせる逸話です。

今でもジャワの人たちがオランダ・イギリスに初めて反旗を翻した事件として語り継がれています。舞台となったホテルでは同じ場所にきちんとインドネシアの旗が掲揚されています。

【旅日記】2018年7月1日 バンタルワル村 訪問 ( 同行 )

ロームシャ。
日本語の「労務者」がインドネシア語化した言葉の一つです。
– 今回の仕事はどうだった?
– ああ、ロームシャみたいな仕事だった。二度としたくない。
というふうに使われ、低賃金で重労働の仕事を意味します。第二次世界大戦中に日本軍がインドネシアに持ち込んだと言われています。

今回は、かつて「ロームシャ」として日本軍に人生を大きく変えられた一人のインドネシア人男性の足跡を辿る旅でした。 続きを読む