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旅と安全

2022年4月に起きた知床の観光船事故のニュースに接するなかで、観光業に従事する者の視点として感じたことを綴ります。不謹慎に聞こえてしまうかもしれませんが、この事故はいろんなことを再認識する機会を与えてくれました。

わたしは知床に行ったことがないし、海も知らない身ですが、今回の事故は、悪天候予報や漁師さんの提言を無視し、無線や船の一部が破損しているというコンディション不良を放置して運航したことが原因の人災だと思っています。

ただ、コロナによって2年以上続く観光業大不況にようやく射し始めた薄陽。目の前には十分な数のお客様たち。コロナ明け直後からまた始まる他社との競合。
…となるとできるだけ船を出したいと思うのは商売人としては一般的な心理で、理解はできる。
全世界・ほとんどの業種・ほとんどの人々に降りかかっているコロナ厄災を事故原因としてはいけないとは思いますが、観光業は長引くコロナで本当に苦しく、設備の整備不良も出航の誤判断もコロナ禍で厳しい懐事情が遠因になっているのかなとも思います。

今回の事故によって知床やその周辺ではキャンセルが相次いでいるとか。こういう重大事故はその会社の存続だけではなく、その土地のイメージ全体に関わってくるんですよね。
であれば、特に地元の旅行資源を主に取り扱っている旅行会社は、その土地を愛し、その土地全体のこと・その土地の将来のことを考えて事業を展開しなければならない。会社の利益と同じようにその土地の利益も考えられる会社でないといけないと思います。

また今回の事故の会社が実態はどうだったのかは別として、
①現場指揮を任せる人をきちんと選ぶ (  状況をきちんと判断でき、ダメなものはダメとお客様にも上司や社長にも言える人を選ぶ。うちの場合だと主にドライバーとガイドの選任 )
②上司や社長は現場の人の意見や客観的なデータを集めたうえで自ら検討し、責任を以って判断する。お客様にダメなものはダメと言える勇気をもつ ( うちの場合はパートナーとわたしの仕事 )
③現場に無理をさせない ( うちの場合だと日程作成の段階で現場頼み・当日状況頼みにせず、確実に遂行できるスケジュールを組む )
ということは本当に大切なことだなと感じました。

もともと旅行って旅行者も旅行業者も「スムーズにいくかどうか」「楽しめるかどうか」に重きが置かれている感が強い。本来その手前にある「安全」は100%確約されている大前提という位置づけで、物事がうまくいっているときは立ち止まってじっくり考えるきっかけがなかなかない。
でもやっぱり、旅行って安全が一番なんですよね。
その地域・国を旅する人にとってその地域・国は「見知らぬ土地」。だからこそ、旅は新鮮で非日常を味わえる。でもその反面、どこまでが安全でどこからが危ないのか、なかなか判断が難しい。だから旅行業者の言動・判断を無条件で信じてしまう。時にそれは旅行云々を飛び越えて命に直結してしまう。だからこそ、その地域でサービスを提供する旅行業者は99%の安全を保証できるように冷静に、毅然と判断をしていかなければならない。それも旅行サービスの大切な一要素なんだと思いました。

たかだか旅行業者が「命」だなんて、大げさだな~。でもそれをないがしろにしたから今回の事故が起きてるんだよな~。

支離滅裂だし、公開する意味なんてない駄文。
でも、これを毎日見るサイトにアップすることで今後、自分自身が何度となくこの文を読み、観光船事故のこと・事故から考えたことを思い出すだろうと思ったので公開することにしました。

近い将来・遠い未来の自分へ。
旅行業に携わっている限り、旅行で一番大事なのは安全と肝に銘じ、気を抜かず、手を抜かず、「安全」をしっかり追求し続けること。

旅と情報化

すこし前、シンガポールからのお客様にボロブドゥールのラフティングについて電話で説明していた時、「ちょっと待って。今You Tubeで確認するから」と言われ、ビックリしたことがありました。

それからしばらくしてまた別の一人旅好きのお客様と話していた時、「一昔前は安宿にあるインフォメーションノートが唯一の情報源だったけど、今はスマホで正確な情報がすぐに出てくるもんね。それに慣れてしまって今はスマホが無いと歩けない。それにスマホを持ってると他の旅行者と話をしなくなったな」とおっしゃってました。

私が放浪していたのは今から十数年前。ケータイは持ってはいましたが、目覚まし時計に使う程度。ケータイを使って情報を得るという発想すらなかったように思います。
あのころの旅を思い出してみると自分でも不思議なんですよね。
あれ?あんな田舎のローカルバスの情報どうやって仕入れたんだろう?って。

それが今ではちょっとソロやスラバヤに行く時でも全部スマホやPCで事前にチェック。
現地に着いてからも常にスマホでグーグルマップを見たり、トリップアドバイザーを見たりしています。

でも最近、事前に旅の情報を得ることは本当にいいことなのかなと思うのも事実なんです。
スムーズに目的地に到着する、評価の高いレストランでご飯を食べる、どんなところなのか知っている観光地に行く、というのは快適な旅ではあるけれど、そもそもそれは旅と呼べるのだろうか。
確かに、行ってみたらしょーもなかったとか、もっと安い方法を後から発見して悔しい思いをしたとか、情報のないなかで旅をしていたころは遠回りも余計な出費も残念な思いもたくさんしました。でも意外にそういうことが旅のいい思い出につながっていたりするんですよね。
例えば、期待外れの観光地のそばで食べたご飯がその国で一番美味しかったとか、安価なバスの存在を知らずに乗った電車のなかで会ったおじさんが面白い話をしてくれたとか。

情報がないなかで旅を続けていると五感が鋭くなっていくのが自分でもわかりました。
はっきりと理由を説明できないけど、この店は美味しいとか、こっちの道だとか、この人は怪しいとかを感じとれるようになっていくんです。
私にとってはそういう経験自体が旅の醍醐味でした。

そういう旅は彩度がとても強くて、10年経った今でも目を閉じれば、光景だけではなく音・味・匂い・話した内容・感じたことなんかが鮮明に蘇ってきます。

いつか自分の子が旅に出るという時には、失敗しても、どんくさくても、間違えてもいいからネットの情報1割、自力で集めた情報9割くらいの旅をして、色んなことを旅のなかで感じてほしいなと思うのです。

先のシンガポール人のお客様は動画でラフティングを見て、流れの緩い方を選びました。
小さな子ども連れだったので、河の流れを動画でチェックし、安全な方を採ったのです。
こういう使い方、とても便利ですよね。

旅の情報をネットで仕入れることは時にとても役立ちます。
旅のスタイルによってどこまで情報を仕入れるのかしっかり自分で意識していることが大事なのかな、と思うのです。
社会が賢くなった今、旅人も賢くあれ。

旅と年齢

私の場合、「歳を取ったな〜」と実感するのは、鏡で自分の顔を見たときではなく、疲れて起きられない朝でもなく、筋肉痛が3日後に来たときでもありません。いつかというと、旅をしているときです。

昔は、バスや電車が大好きでした。快適性は二の次で「どれだけローカルか」が選ぶ基準でした。ホテルもお湯シャワーと清潔なベッドさえあれば、部屋の広さとかインテリアとかデスクの有無とか気にしたこともなかった。
食事だって外で食べるのが当たり前でルームサービスやホテルのレストランで食べるなんて選択肢にすらなかった。自分はずっとそんな旅をするんだろうと漠然と思ってました。

でも20代後半から少しずつ変わってきたんです。
まず最初に泊まる場所にこだわるようになりました。インテリアや外観がその土地を感じられる凝ったところがいい。名前が綺麗なところがいい。広いところがいい。テラスのある部屋がいい。デスクがある部屋がいい。ホテルを選ぶようになると、ホテルで過ごす時間が増えました。少し前は朝から深夜まで外で過ごしていたのに。
30を過ぎると移動方法です。長距離では最初に飛行機を探すようになり、短距離はタクシーや車のチャーターを使うことも増えました。
そして最近は食事。外出が面倒なときはホテルのレストランや部屋で済ますことが出てきました。

先日、ほかに選択肢がなく、仕方なく乗合バスで長距離移動をしたのですが、ワクワクするよりも憂鬱になっている自分自身に気がついてびっくりしました。少し前まではこんな汗くさい旅が何よりも好きだったのに。

自分では変わっていないつもりでも、旅をすると自分がすごく変わっていることがわかります。
そして必ず「ああ、あのときあの旅ができて本当に良かった」としみじみと感じるんです。今の自分にはもうあんな旅は体力的にも精神的にもできないと思うから。

きっとこれからさらに歳を重ねるごとに、私の旅のスタイルは変わっていくんだと思います。であれば、今自分がいいと思う旅を今のうちに存分に楽しみたいなと思ってます。

そして40歳、50歳、60歳、70歳の自分はどんな旅をするんだろうと今から楽しみにしています。