2019年9月10日 ムラピ山インターンシップフィールドワーク ( 同行 )

ジョグジャカルタの小学校に突撃訪問!人懐こい小学生たちにあっという間に囲まれました。

今回のお客様はスマランの大学に3週間留学後、インターンシップのためにジョグジャカルタに来た高専3年生。
弱冠18歳ながら1人でスマラン・ジョグジャカルタに乗り込んできた行動力もさることながら、「防災」「災害とメディア」というテーマを選ぶ着眼点にもただただ驚くばかり。

日頃「防災」から遠く離れたところで生きてきた私にとって深く考えたことのなかったテーマでしたが、縁あって7日間彼女について回り、「こんなことがあるんだ!」と知らなかった世界を見せてもらいました。

午前中はジョグジャカルタ郊外にあるメディア系の会社でインターンシップ。午後からジョグジャカルタやボロブドゥールを案内というスケジュールが基本でしたが、9月10日はインターンシップ先の方々と終日ムラピ火山でフィールドワーク。ムラピ山とともに住む人たちのインタビューや緊急連絡方法の実態調査など、ムラピ火山ジープアドベンチャーではできない体験をしてきました。

9:30 ジョグジャカルタ市内のホテルに集合。
9:40 – 10:25 ムラピ火山博物館へ。
10:25 – 11:30 ムラピ火山博物館見学。
11:30 – 11:55 村へ。
11:55 – 12:30 インタビュー。
12:30 – 12:40 食堂へ。
12:40 – 13:30 昼食。
13:30 – 14:45 村へ。
14:45 – 16:30 インタビュー。
16:30 – 18:30 ジョグジャカルタ市内のホテルで解散。

9月9日のインターン初日に話し合ったスケジュールではムラピでのフィールドワークは9月11日予定していたのに、9日の夜9時すぎに「ムラピへは明日行きます」とインターンシップ先から連絡が入り、急遽決行。直前に予定が変わるのはジャワあるあるです。

インターンシップ先の方々とジョグジャカルタ市内のホテルで合流し、ムラピ山へ。
ムラピ山はジョグジャカルタやボロブドゥールの歴史に大きな影響を与え、今でも活発な活動をするインドネシア有数の活火山です。
まずはムラピ山の概略を知るためにムラピ火山博物館を1時間ほど見学。ちょうど小学生が遠足で来ていました。

近年では2006年と2010年に大きな噴火があり、甚大な被害をもたらしたムラピ山。特に2010年の噴火では広範囲に渡って火砕流が流れ出、多数の死者や行方不明者を出しました。火山博物館見学の後はその2010年の噴火で村ごと無くなってしまい、新しい土地に新しく村を建てた方々の家を訪問。新しくモダンな小さな家が並んでいました。インタビューでは、現在の住環境の問題点や今後の対策についてインタビュー。

食堂での昼食を挟んで、今度はムラピ山の火口湖から最も近い村へ。
途中、2010年以降に建設された砂防ダムを見学 ( ちなみに砂防ダムはインドネシア語でも Dam Sabo というそうです )。
この村では今でもコミュニティラジオ1があり、ムラピ山の動向を伝える専用チャンネルを設けています。今ではスマホが普及し、情報収集はネットでできるようになってはいますが、災害時に信頼できる情報伝達ツールということでコミュニティラジオが活きています。
このラジオ運営責任者が「災害から身を守るために何が重要だと思いますか?」という質問に対し「自然と共に生きていることを忘れないこと」と答えたのがとても印象的でした。
1 コミュニティラジオとはそのエリアでしか放送されない、地域に根差したラジオです。ほとんどはコミュニティ内で独自に運営されています。今回訪問した村のコミュニティラジオは営利目的ではないため広告や宣伝を入れず、運営は村の人たちがボランティアで、運営費用も村の人たちの寄付で賄われれいるそうです。


インドネシアで災害というと、地震・火山の噴火・津波・洪水が挙げられます。特にこの数年はインドネシア全土で大きい地震や噴火が発生しており、村などにも避難経路や集合場所を示す看板が増えました。

今回インターンシップ先のメディア系の会社は数年前までは災害専門ラジオ部門があったそうですが、ここ数年の時代の趨勢からラジオ放送を廃止し、情報収集・発信に特化しているそうです。
具体的には去年スラウェシ島のパルという町で地震が起きたときには政府・病院・ボランティア団体などのサイトにアップされる情報や独自で構築した情報収集網を駆使して得た情報をまとめた体系的な被災地情報サイトを作り無料で公開したそうです。

その一方でインドネシアらしいエピソードも。
2004年のスマトラ島沖地震の津波ではスマトラ島本島では大きな被害が出たのに対し、震源により近くもっと大きい津波がきたシムルゥー島 Pulau Simelue では死者はたった2人しか出なかったそうです。何故か。それは島に伝わる伝統芸能を通じて津波について上の世代から下の世代へと代々受け継がれた知恵があったからだと言われています ( ちなみにシムルゥー島はこの功績が認められ日本財団より国連笹川防災賞を贈られたそうです )。
ムラピ山のフィールドワークの時にも、地元で行われる民族舞踊やガムラン音楽や影絵芝居のなかに火山のエピソードを盛り込んでいるという話を聞きました。災害が起きやすい地域の人々はこうやって起こり得る災害について知り、備えるそうです。また村やそれよりも小さなコミュニティの結びつきが強い社会は緊急時の避難先への誘導や避難状況の把握などの面でも役立っているとのことです。

災害や防災というアングルから見たとき、ジャワの人はバランスがとてもいいなぁという感じを受けました。人間的なコミュニティネットのなかで教育や訓練を行いながら最新のテクノロジーで観測し情報を流す。最新鋭の科学技術だけでは災害時にカバーしきれない部分をを「人のつながり」や「伝統」で補っていくように社会システムを維持しています。
また災害は自然から発生するものだけれど、一方で災害時に守ってくれるのも自然だということをきちんと若い世代に伝えています。例えば、コミュニティラジオの運営者は「木を伐採すれば、洪水が起こりやすくなるし、火砕流を堰き止められなくなる。だから私たちは決して木を伐りません。自然をないがしろにすると、自然はより大きな災害をもたらす。それはずっと昔からこの村に伝わる教訓です」とも言っていました。

ジャワで生活をしていると、いろんな局面で感じるのですが、ジャワの人たちって文民的で思慮深くてかっこいいんだよなー ( 褒めすぎ? )。
今回のフィールドワークで出会ったムラピ山に住む人たちもそうでしたし、日本から来た女の子1人のインターンシップに5日間毎日真剣に向き合ってくれたインターンシップ先のスタッフたちもかっこよかったです。” 人間力 ”  の高いジャワの人たちを、いつもとは違う面から観察できた1週間でした。