【旅日記】2018年12月18日 スマラン事件歴史探訪 ( プライベート )

前日12月17日、スマラン港にお客様をお送りした後、スマラン市中心部に1泊し、スマラン事件 ( 五日間戦争 ) にまつわる場所を訪ねました。

泊まったホテルは、Rooms Inc Hotel Permuda。スマラン中心部シンパンリマ Simpang Lima に位置し、ショッピングモールに連結しているので、ロケーション抜群。カジュアルでオシャレな雰囲気のホテルです。ホテルの中のレストランで食べた夕食が予想以上においしかったのも高ポイントです。

ホテルにチェックイン後すぐ、散歩がてらライトアップされたラワン・セウを見に行きました。
街の中心部といえども夜10時半では、人通りもまばら。
ラワン・セウ自体もこの時間はもう閉まっていたので中に入ることはできませんでしたが、外からでもその美しさは十分楽しめました。昼間に見るよりもライトアップされた夜の ラワン・セウの方が妖しく引き込まれそうな魅力がありました。

 

翌日は朝食後にシンパンリマ周辺のスマラン事件関連の場所へ。
まずは、徒歩でシンパンリマにある青年の塔へ。ちなみにインドネシアではスマラン事件は、「 Pertempuran Lima Hari 」という名前で知られており、この塔はスマラン事件を忘れないために1951年に建てられたものです。

 

 

青年の塔から東に10分ほど歩くとブル刑務所です。1945年10月14日、ここに抑留されていた日本人約150人が殺害され、30人が行方不明になりました。
息絶える前に血で書いた「インドネシアの独立を祈る、万歳」という文字が壁に残っていたと言われています。今は、この建物は女子刑務所として現役の施設です。当時のことを示す碑やパネルなどはありませんでした。またGoogle Mapでは違う場所に表示が出ますが、周囲の人に「ブル刑務所はどこ?」と聞くとすぐに指さして教えてくれました。

 

その後は一度ホテルに戻り、チェックアウトしてから車で海の方へ、日本人犠牲者のための鎮魂の碑を見に行きました。途中からは車で入れず、看板も何の目印もない道をただただ Google Map を信じて進みます。
干からびた道の果てに鎮魂の碑はありました。
スマラン事件に巻き込まれ犠牲になった方々の氏名が刻まれており、その多さに圧倒されるとともに、殉難者がここまで特定されていることに敗戦後に残っていた日本人のなかでも秩序だったコミュニティが存在していたのかなと感じます。

スマラン事件に関連する史跡はまだいくつかあるようです。もう少し勉強し、また機会を見て他の場所も訪れたいと思います。