1745年から1946年の200年間、ジョグジャカルタとソロ ( スラカルタ ) には4つの王家が存在していました。4つとも、当時実権を握っていたオランダやイギリスから正式な承認を得た、正統な王家です。
王のことを、ソロの王家2つは ” ススフナン ”、ジョグジャカルタの王家2つは ” スルタン ” と称していました。
スラカルタ王国
( 英: Surakarta Sunanate、イ: Kasunanan Surakarta Hadiningrat )
1745年2月17日 ~ 1946年6月16日
君主 : パクブウォノ家 ( または パクブワナ家 )
王宮 : カスナナン王宮
カルタスラを首都としていた新マタラム王国が1742年に起こった反乱により衰弱・荒廃したため、当時の王パクブウォノ2世がサラ ( ソロ ) と呼ばれていた村に遷都したことで誕生した王国。この後もジョグジャカルタ第1王家のハメンクブォノ家とソロ第2王家マンクヌガラ家に分裂。
現在の当主はパクブウォノ13世、王権を持たないシンボルとして存在している。
ジョグジャカルタ王国
( 英: Yogyakarta Sultanate、イ: Kesultanan Ngayogyakarta Hadiningrat )
1755年2月13日 ~ 1950年8月3日
君主 : ハメンクブウォノ家
王宮 : ジョグジャカルタ王宮
1749年、スラカルタ王国の初代王・パクブウォノ2世の実弟マンクブミ王子とスラカルタ王国第2代王・パクブウォノ3世の父親ラデン・マス・サヒッドがスラカルタ王国に対して造反し、1755年オランダ東インド会社が間に立ち、パクブウォノ3世とマンクブミ王子との間でジャヤンティ条約を締結。これによりスラカルタ王国は2分され、ハメンクブォノ1世となったマンクブミ王子に与えられた領地がジョグジャカルタ王国として誕生した。
独立戦争中の1946年から1948年は臨時首都として機能し、1950年にジョグジャカルタ特別州としてインドネシア共和国の一部となり、王権を維持したまま当時の王・ハメンクブウォノ9世は州知事に就任した。
現在の当主はハメンクブウォノ10世、王権は保証されたまま、州知事職にも就いている。
マンクヌガラン王国
( 英: Mangkunegaran、イ: Kadipaten Mangkunegaran )
1757年3月17日 ~ 1946年6月16日
君主 : マンクヌガラ家
王宮 : マンクヌガラン王宮
1749年にスラカルタ王国第2代王・パクブウォノ3世に対して、その父親ラデン・マス・サヒッドが起こした反乱をオランダ東インド会社が終結させたサラティガ条約により、1757年にラデン・マス・サヒッドをマンクヌガラ1世としてスラカルタ王国の一部の領地を分割したことにより誕生。
現在の当主はマンクヌガラ10世、王権を持たないシンボルとして存在している。
パクアラマン王国
( 英: Pakualaman、イ: Kadipaten Pakualaman )
1813年3月17日 ~ 1950年8月3日
君主 : パクアラム家
王宮 : パクアラマン王宮
当時ジャワ島の実権を握っていたイギリス東インド会社が、ジョグジャカルタ王国の初代王・ハメンクブウォノ1世の息子ノトクスモ王子がイギリス東インド会社に協力した功績を認め、ジョグジャカルタ王国の一部を割譲し与えたことで誕生。ノトクスモ王子はこれ以降、パクアラム1世と改めた。
1950年にジョグジャカルタ特別州が誕生した後は代々、副州知事職を務めている。
現在の当主はパクアラマン10世、王権を持たないシンボルとして存在している。
オランダ、イギリス、そして日本という外国列強の支配下にあった激動の時代に生まれ、時の流れに揉まれ続けた4つの王家。どこの国にもあるような親族間の骨肉の争いあり、時には政略結婚ありな歴史は掘り下げると現代に繋がる話がいろいろ出てきそうです。
21世紀の今、王権を維持しているのはジョグジャカルタのハメンクブウォノ家のみ。ほかの3家はすでに「象徴」でしかありませんが、それぞれの地域で今でも尊敬の対象になっており、ロイヤルファミリーとしての威厳を保っています。